チェンバロ・フェスティバル 読売新聞夕刊記事より

皆様、こんにちは!昨日から引き続き、事務局です。いよいよ明日からはホールでのリハーサルも始まります。
その様子も、こちらで随時お伝えしていこうと思います。

さて、今日は、6/7に読売新聞夕刊に掲載された、
チェンバロ・フェスティバルについて曽根麻矢子と大井浩明さんのインタビュー記事(抜粋)を
ご紹介いたします。


ー30日夜の公演は、バッハが好んだ変奏曲形式に着目したプログラム。
曽根らはバッハに先行するパッヘルベル、クープラン、ストラーチェの楽曲と、20世紀後半の作曲家リゲティの同形式の三つの小品を交互に演奏。
また、大井はバッハの大作「ゴルトベルク変奏曲」にもとづき、古川聖に委嘱した新作を初演。
大井は古川作品について「バッハのオリジナルをアルゴリズム作曲という手法で、全く違うものにしているけれど、
演奏していて『おおっ』と原曲の記憶を呼び起こすようなところもあって、とても面白い」と語る。
大井は、1日夜には、クセナキスの難曲「ホアイ」(1976年)に挑戦するほか、
30日、1日午後のレクチャーコンサートでは、西村朗、藤倉大らのピアノ曲をチェンバロで演奏、
シュトックハウゼンらの作品では、電子音響(有馬純寿)と競演する。
その狙いについて、「弾いていてチェンバロのほうが向いている作品もある」と語る。
「ピアノよりも音の減衰が早いだけに、音が濁らない」
一方、チェンバロはピアノと違って鍵盤を押す力を変えても音量を変えることはできない。
そこが古典派音楽以降、ピアノが取って代わることになった最大の原因といわれるが、
曽根は29日夜のリサイタルで、あえてモーツァルト「ソナタ第11番〈トルコ行進曲付き〉」、ベートーヴェン「悲愴ソナタ」という強弱記号が頻出する古楽派ソナタを取り上げる。
「この2曲は意外にしっくりきて、とても新鮮な響きがします」。
強弱法についてはチェンバロ独自の2段鍵盤を利用して「音量の異なる上下の鍵盤を交互に弾き分けることで表現してみます」。
古楽派以上に細かな強弱の変化が楽譜に記されている現代音楽についても
大井は、「会話でも強調したいところは、声の大きさではなく抑揚の変化で表現できる。音の強弱は本質的には重要ではないのでは」。
ピアノと違うチェンバロの表現の可能性をさまざまな形で示す機会となりそうだ。
ほかに出演するチェンバリストは上尾直毅、植山けい、野澤知子、渡邊順生。
桐山建志(バイオリン)らでつくる特別編成の合奏団、藤木大地(カウンターテナー)と競演する。
ー(以上、読売新聞夕刊2018年6月7日より抜粋)

こちらの記事で、大井浩明さんがお話されていた「 音の強弱は本質的には重要ではないのでは 」という問いかけ。

皆さんはどう思われますか?

事務局スタッフその3(?)である私自身も実はチェンバロを弾きますが、
この大井さんの問いかけにはチェンバロならではの魅力、またはチェンバロ演奏のヒントとでも言ってしまいたいものが詰まっていると思うのです。

東京で開催されるチェンバロ最大のフェスティバル。いよいよ始まります。

バッハ以前、そしてバッハ以降‥
あまりに偉大なその影を追って、果てなく続く長い道を、今、一緒に歩いてみませんか。

どの公演も当日券の販売見込みがあるようです。
皆さんのお越しをお待ちしております。

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